もう10月も中旬だというのに、なぜか夏のアサガオが咲いてしまいました。
もうとっくに枯れてしまったのかと思っていましたし、実際ほとんどの葉は枯れてしまっています。
でも種があるので、水は定期的にやっていたのですが、それにしてもこの時期に咲くとは、、、、
咲いたのは夕方です。もう仲間の花(花に仲間意識があるならば)はみんな枯れてしまい、さぞかし寂しいだろうと、花をみながら思いました。
これを自分にあてはめて考えてみましょう。
もし、これから200年くらいたって、私の知っている人たちが、みんな死んでしまい、それでも自分だけが生きていたら、多分寂しいだろうと思いました。いったいそのとき私は、何を考えて生きているのだろう、、、
ううううううううう、
考えただけで寂しくなってきます。やはり引き際が大切ですよね。ヒキギワですぞ、
ヒッキッギッワッ・・・・
一旦引退しておきながら、また現役続行なんていいだすのは格好悪いよ。もう地味な記録とはいえ、世界記録だって作ったんだからいいんじゃないの、カワイさん。
仕事が終わって、お先に失礼しまあす、とかいって帰りはじめてしばらくすると、傘を忘れたことに気がつき、引き返そう、、、、と思っても、それははずかしいので、雨にぬれてもそのまま帰る。
これが引き際の美学というものでしょう。
話はとびましたが、200年後にも、やはり小学生は夏になると、きっとアサガオの種をまいて観察日記をつけているのでしょうか。
それを確かめるために、200年生きてみたいものです、、、
うううっ、、、、こういうのを往生際悪いというのでしょうか?
オウジョユギワの美学、う〜ん難しいですねえ。